・現在はオンラインによる患者同士の交流を深めているCさん
Cさん(30代男性)は、20歳の時に医師から「画像診断の結果、潰瘍性大腸炎にほぼ間違いないでしょう」と言われましたが、その時の気持ちはホッとしたような安心したような気持ちだったことを覚えているそうです。
というのが、Cさんはそれまで半年近く、下痢や血便が続き、色々な病院で検査したあとで、ようやく病名にたどり着いたからです。
ただ、その時は潰瘍性大腸炎がどんな病気なのか、よく分かっていませんでした。
しかし、入院してちゃんと治療すれば、また仕事も頑張れると前向きな気持ちを持っていたことを覚えています。
Cさんは、最初の入院から退院したあと、しばらくは仕事も生活も支障なくやれていました。しかし、体調は除々に悪化し、当時は今とは違ってネットでの情報などほとんどなく、潰瘍性大腸炎に関しても分からない部分が多くありました。
医師や看護師からの病気の説明はもちろんありましたが、同じ病気の人がどんな治療を行ってどんなふうに回復していったかなどは、知りたいと思っても情報がなく、不安だけがつのっていました。
そして、最初に診断されてから約2年後、再び入院することになりました。そこからCさんは、1年~1年半ごとに入院を繰り返し、30歳を過ぎた頃には大腸の全摘手術を受けることになりました。
Cさんは何度目かの入院の際、パソコンを病室に持ち込みましたが、当時はまだWi-Fiが活用されておらず、メールのやり取りなどは病院の公衆電話を使って接続するような時代でした。
その頃、九州のIBD(炎症性腸疾患)の患者が作成したWEBサイトがあったのですが、オンラインで病気の情報を伝えているサイトがあることに感銘を受けたそうです。
Cさんが潰瘍性大腸炎になって10年目に、保健所で開催されたIBDの講演会で、熱心な保健師さんに出会いました。
その保健師さんからは、会場の手配などをサポートしていただき、IBD情報を共有したいという共通の思いを持つ4人が集まり、立川IBD友の会を発足しました。
立川IBD友の会は、早朝からWEBサイトを開設していましたから、会員数も除々に増えていきました。
そして、交流会では日常生活や社会生活での悩みやお金の問題など、幅広いテーマで話し合うことができました。
そこでは、ベテランの患者さんからの経験談や情報の伝達に加え、生活に役立つような新しい発見も多くあったといいます。
そして、交流会の二次会では、膝を突き合わせた会食で、楽しい笑顔にあふれていたそうです。
また、交流会以外でも、ピクニックなどのイベントを開催し、そこで初めて患者会活動に参加する患者さんや家族の方も多くいました。
Cさんの趣味は、地元の吹奏楽団に参加してチューバの演奏を楽しんでいるのですが、今年は合同練習や訪問演奏会などが、新型コロナウイルス感染症の増加のため、ほとんどが中止となってしまいました。
これまで、日本では阪神淡路大震災や東日本大震災、さらに各地で起きた水害など、IBD患者さんの生活や治療を脅かす災害が起きています。
そんな経験に基づいた全国のIBD患者同士の連携を図ったり、助け合うことを目指す連絡網や体制が整いつつあるといいます。
やはり、IBD患者同士の情報交換の意義は大きく、地域災害に対して必要な物資を患者会を通じて支援したいと語っています。
今回の新型コロナウイルスの感染症流行下では、オンラインで患者交流会を開いたそうです。
これまで誰も経験したことのない状況ですから、活発な意見交換があり、懐かしい顔ぶれを見つけたときは嬉しい気持ちに溢れたといいます。
新たなIBD患者さんの参加もあり、こうした参加者が増えることで、今後もオンラインをはじめとした、コミュニケーションツールを活用し、患者会の活動を続きていきたいとCさんは語っていました。
・発症して約35年、今では大好きなチェロやテニスで充実した生活を送るDさん
Dさん(70代男性)は、35歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されたあと、病室で3歳と5歳の子供を前に、不安そうな妻へ「この子たちが一人前になるまで頑張るよ」と告げたそうです。
これがDさんにとって人生最大の目標が明確になった瞬間でした。
Dさんは潰瘍性大腸炎の発症前、技術系の会社に勤めていました。中学生の頃から自作ラジオや電子工作が趣味だったDさんは、秋葉原にもよく通っていたそうです。
大学は工学部の電気通信工学科に進み、コンピューターメーカーに就職しました。
会社では高速プリンターの開発に携わるようになり、仕事は楽しく、家に帰るのは寝るためだけといった毎日を過ごしていました。
そんな仕事中心の毎日を過ごしている時、下痢と発熱を繰り返して、血便まで出るようになりました。
1980年代では、まだインターネットもなく、潰瘍性大腸炎という病気は今ほどには知られていませんでした。
Dさんは、数件目にいった病院で、初めて潰瘍性大腸炎の診断を受けて入院することになりました。
Dさんは病気に対する不安を持ちながら、点滴だけの絶食を2ヶ月続け、計4ヶ月の入院生活を送ることになりました。
そして、その時の2ヶ月振りの食事のおいしさや風呂の気持ちよさは、今でも忘れられないといいます。
退院後は、悔いのない人生を送りたいと思うようになり、チャレンジを合言葉に仕事にも打ち込みながら、それまであまり顧みなかった家族との時間や自分の時間を大切に考えるようになりました。
Dさんにとって、充実した人生を歩むための第一歩が、潰瘍性大腸炎だったのかもしれません。
仕事への復帰後は、寛解状態を保ちながらの業務を続けるため、処方された薬を飲み忘れることのないように心がけました。
また、食事では、妻が和食を中心に煮物やポトフなど、腸にやさしい献立を作ってくれ、それを子供たちが一緒に食べていたことは感謝しかないといいます。
Dさんが職場に復帰して7年が経過した頃、日本はバブル経済の全盛期でした。
Dさんもお酒を控えていましたが、会食には数多く参加していましたから、その影響もあってか42歳の頃に潰瘍性大腸炎が再発してしまいました。
Dさんは入院期間が長くなるのを予想して、引き継ぎの書類の作成に全力を注ぎました。
2度目の退院後は、これまで以上に体調管理に十分注意し、仕事を続けていました。
それから、8年後、50歳になったDさんは、潰瘍性大腸炎が再燃し、今度は大腸を全摘する手術を行ないました。
職場への復帰は、会社の保健師から月に1度、ヒアリングをしてもらい、必要に応じて会社と提携している医療機関を紹介してもらいました。
こうした会社のサポートも心強く、安心して仕事に取り組むことができたとDさんはいいます。
Dさんにとって、仕事へ没頭することが、ある意味病気を忘れる時間になっているそうですが、趣味や友人との交流も楽しい時間となり、病気と上手く付き合っていく上で重要なことだと考えています。
ただ、この辺は人それぞれで、体調が悪いときには誰にも合わず、落ち込むまで落ち込むことで回復する方もいるそうです。
Dさんの場合、55歳からチェロを始め、アマチュアオーケストラに入団しました。
団員の皆さんと練習に励んでいるときは、病気のことはすっかり忘れて、Dさんは飲み会や合宿にも参加して仲間と楽しい時間を過ごしています。
また、60歳を過ぎて、市民ホールでの演奏会の舞台に初めて立てた時の感動は、今でも忘れられないそうです。
その他にも、テニスや語学、オーディオと色々と楽しんでいるDさんは、35歳で潰瘍性大腸炎を発症し、それから35年の月日が流れ、今ではお孫さんにも恵まれています。