潰瘍性大腸炎の体験談NO2

・現在はオンラインによる患者同士の交流を深めているCさん

Cさん(30代男性)は、20歳の時に医師から「画像診断の結果、潰瘍性大腸炎にほぼ間違いないでしょう」と言われましたが、その時の気持ちはホッとしたような安心したような気持ちだったことを覚えているそうです。

というのが、Cさんはそれまで半年近く、下痢や血便が続き、色々な病院で検査したあとで、ようやく病名にたどり着いたからです。

ただ、その時は潰瘍性大腸炎がどんな病気なのか、よく分かっていませんでした。

しかし、入院してちゃんと治療すれば、また仕事も頑張れると前向きな気持ちを持っていたことを覚えています。

Cさんは、最初の入院から退院したあと、しばらくは仕事も生活も支障なくやれていました。しかし、体調は除々に悪化し、当時は今とは違ってネットでの情報などほとんどなく、潰瘍性大腸炎に関しても分からない部分が多くありました。

医師や看護師からの病気の説明はもちろんありましたが、同じ病気の人がどんな治療を行ってどんなふうに回復していったかなどは、知りたいと思っても情報がなく、不安だけがつのっていました。

そして、最初に診断されてから約2年後、再び入院することになりました。そこからCさんは、1年~1年半ごとに入院を繰り返し、30歳を過ぎた頃には大腸の全摘手術を受けることになりました。

Cさんは何度目かの入院の際、パソコンを病室に持ち込みましたが、当時はまだWi-Fiが活用されておらず、メールのやり取りなどは病院の公衆電話を使って接続するような時代でした。

その頃、九州のIBD(炎症性腸疾患)の患者が作成したWEBサイトがあったのですが、オンラインで病気の情報を伝えているサイトがあることに感銘を受けたそうです。

Cさんが潰瘍性大腸炎になって10年目に、保健所で開催されたIBDの講演会で、熱心な保健師さんに出会いました。

その保健師さんからは、会場の手配などをサポートしていただき、IBD情報を共有したいという共通の思いを持つ4人が集まり、立川IBD友の会を発足しました。

立川IBD友の会は、早朝からWEBサイトを開設していましたから、会員数も除々に増えていきました。

そして、交流会では日常生活や社会生活での悩みやお金の問題など、幅広いテーマで話し合うことができました。

そこでは、ベテランの患者さんからの経験談や情報の伝達に加え、生活に役立つような新しい発見も多くあったといいます。

そして、交流会の二次会では、膝を突き合わせた会食で、楽しい笑顔にあふれていたそうです。

また、交流会以外でも、ピクニックなどのイベントを開催し、そこで初めて患者会活動に参加する患者さんや家族の方も多くいました。

Cさんの趣味は、地元の吹奏楽団に参加してチューバの演奏を楽しんでいるのですが、今年は合同練習や訪問演奏会などが、新型コロナウイルス感染症の増加のため、ほとんどが中止となってしまいました。

これまで、日本では阪神淡路大震災や東日本大震災、さらに各地で起きた水害など、IBD患者さんの生活や治療を脅かす災害が起きています。

そんな経験に基づいた全国のIBD患者同士の連携を図ったり、助け合うことを目指す連絡網や体制が整いつつあるといいます。

やはり、IBD患者同士の情報交換の意義は大きく、地域災害に対して必要な物資を患者会を通じて支援したいと語っています。

今回の新型コロナウイルスの感染症流行下では、オンラインで患者交流会を開いたそうです。

これまで誰も経験したことのない状況ですから、活発な意見交換があり、懐かしい顔ぶれを見つけたときは嬉しい気持ちに溢れたといいます。

新たなIBD患者さんの参加もあり、こうした参加者が増えることで、今後もオンラインをはじめとした、コミュニケーションツールを活用し、患者会の活動を続きていきたいとCさんは語っていました。

・発症して約35年、今では大好きなチェロやテニスで充実した生活を送るDさん

Dさん(70代男性)は、35歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されたあと、病室で3歳と5歳の子供を前に、不安そうな妻へ「この子たちが一人前になるまで頑張るよ」と告げたそうです。

これがDさんにとって人生最大の目標が明確になった瞬間でした。

Dさんは潰瘍性大腸炎の発症前、技術系の会社に勤めていました。中学生の頃から自作ラジオや電子工作が趣味だったDさんは、秋葉原にもよく通っていたそうです。

大学は工学部の電気通信工学科に進み、コンピューターメーカーに就職しました。

会社では高速プリンターの開発に携わるようになり、仕事は楽しく、家に帰るのは寝るためだけといった毎日を過ごしていました。

そんな仕事中心の毎日を過ごしている時、下痢と発熱を繰り返して、血便まで出るようになりました。

1980年代では、まだインターネットもなく、潰瘍性大腸炎という病気は今ほどには知られていませんでした。

Dさんは、数件目にいった病院で、初めて潰瘍性大腸炎の診断を受けて入院することになりました。

Dさんは病気に対する不安を持ちながら、点滴だけの絶食を2ヶ月続け、計4ヶ月の入院生活を送ることになりました。

そして、その時の2ヶ月振りの食事のおいしさや風呂の気持ちよさは、今でも忘れられないといいます。

退院後は、悔いのない人生を送りたいと思うようになり、チャレンジを合言葉に仕事にも打ち込みながら、それまであまり顧みなかった家族との時間や自分の時間を大切に考えるようになりました。

Dさんにとって、充実した人生を歩むための第一歩が、潰瘍性大腸炎だったのかもしれません。

仕事への復帰後は、寛解状態を保ちながらの業務を続けるため、処方された薬を飲み忘れることのないように心がけました。

また、食事では、妻が和食を中心に煮物やポトフなど、腸にやさしい献立を作ってくれ、それを子供たちが一緒に食べていたことは感謝しかないといいます。

Dさんが職場に復帰して7年が経過した頃、日本はバブル経済の全盛期でした。

Dさんもお酒を控えていましたが、会食には数多く参加していましたから、その影響もあってか42歳の頃に潰瘍性大腸炎が再発してしまいました。

Dさんは入院期間が長くなるのを予想して、引き継ぎの書類の作成に全力を注ぎました。

2度目の退院後は、これまで以上に体調管理に十分注意し、仕事を続けていました。

それから、8年後、50歳になったDさんは、潰瘍性大腸炎が再燃し、今度は大腸を全摘する手術を行ないました。

職場への復帰は、会社の保健師から月に1度、ヒアリングをしてもらい、必要に応じて会社と提携している医療機関を紹介してもらいました。

こうした会社のサポートも心強く、安心して仕事に取り組むことができたとDさんはいいます。

Dさんにとって、仕事へ没頭することが、ある意味病気を忘れる時間になっているそうですが、趣味や友人との交流も楽しい時間となり、病気と上手く付き合っていく上で重要なことだと考えています。

ただ、この辺は人それぞれで、体調が悪いときには誰にも合わず、落ち込むまで落ち込むことで回復する方もいるそうです。

Dさんの場合、55歳からチェロを始め、アマチュアオーケストラに入団しました。

団員の皆さんと練習に励んでいるときは、病気のことはすっかり忘れて、Dさんは飲み会や合宿にも参加して仲間と楽しい時間を過ごしています。

また、60歳を過ぎて、市民ホールでの演奏会の舞台に初めて立てた時の感動は、今でも忘れられないそうです。

その他にも、テニスや語学、オーディオと色々と楽しんでいるDさんは、35歳で潰瘍性大腸炎を発症し、それから35年の月日が流れ、今ではお孫さんにも恵まれています。

「看護師って将来どのような道に進むの?」

看護師は高校を卒業した後に、専門学校や大学に進学して国家試験を受けて、ようやくなることができます。

看護師になって、その後をイメージしたことがありますか?

「看護師になるまでに大変だったのに、その後なんてイメージできない…」

「日々の業務に追われる毎日で将来のことなんて考えたことがない…」

「今、薬とか新しい治療のことを学んでいる。今のことで精一杯…」

という考えの人が多いのではないでしょうか?

看護師は不規則な勤務で働いていて、業務内容もものすごくハードで心身の負担が非常に大きいと言われています。

その中で、将来のことを考えなければいけないのですが、目の前のことをこなすことで精いっぱいでなかなか考えることができないのではないのでしょうか。

そこで今回は「看護師って将来どのような道に進むの?」というテーマで、看護師は将来どのようになっていくのか、どのような進路があるのかなどについて、実際の経験から紹介していきます。

看護師が看護師を続けていく中でだいたい3つのコースに分かれるのではないかと考えます。

1つは専門看護師や認定看護師などのスペシャリストとして勤務していく、もう1つは副看護師長や看護師長などジェネラリストとして勤務していく、最後の1つはジェネラリストでもスペシャリストでもなく、現場で勤務を続けていく、この3つのコースがあります。

もしくは、この3つのコースの組み合わせがあります。

看護師長の業務をしながら、専門看護師としての業務をしている場合もあります。

これから具体的に紹介していきます。

1.専門看護師、認定看護師などスペシャリストになる

まず1つ目は専門看護師や認定看護師などのスペシャリストになるという道です。

病院によっては3~5年間毎に部署の異動があるところもあれば、異動などがないところもあります。

それでも、勤務をしていると何となく「〇〇科の看護師になりたい」と考えるようになることもあります。

この考えがさらに発展すると「どうせ〇〇科の看護師になるんだったら、〇〇科の看護を極めてみたい」との考えに至ることがあり、その考えに至ったときにスペシャリストへの道を目指すようになります。

しかし、誰もが希望をすればスペシャリストになれるわけではありません。

まずはどの病院でも院内での審査に通らないといけない場合が多いです。

ある程度の経験年数があり、院内での研修を受講していたり、役割を果たしていたりするなど一定の条件を満たすことでようやく院内での審査を通ることができます。

院内の審査が通ったら、その後は大学やその他教育機関の入試を受けなればなりません。

重症集中や嚥下、皮膚、心不全など、色んな分野がありますが、それぞれ受験したいところに申し込み合格することでようやく学校に通えるようになります。

専門看護師は大学院であるため2年、認定看護師は約6~8か月は通うことでようやくその免許の受験資格を得ることができます。

この専門機関に通っているときは休職扱いなのか、給料が出るのか、退職しなければならないのかなど所属している病院によっても異なります。

専門機関が居住地域になければその間生活するアパートを借りたりしなければならないため、数十万~数百万という実費がかかってくるのもネックとなっています。

このお金の問題で受講を断念するスタッフもいます。

受験に合格することでスペシャリストとして勤務することができますが、その後も学会に参加したり、論文を提出したりして、免許の維持していくことも結構大変な印象があります。

日々の業務をこなしながら、論文を書いていくことはなかなか難しいのではないでしょうか。

さらには、スペシャリストとして院内から求められていることを実行しなければならないため、免許を取得した後も計画的に院内に貢献できるように実践していかなければなりません。

専門のチームに所属して院内をラウンドしたり、診療報酬を得るために様々な活動をしていくことを求められる場合もあります。

スペシャリストになるためにはスペシャリストになるまでも大変ですが、なってからも大変です。

しかし、院内では1人という場合もあり、所属している病院から求められることは大きく、非常にやりがいのある仕事ではないのでしょうか。

2.副看護師長、看護師長などジェネラリストになる

2つ目は副看護師長や看護師長などジェネラリストになるという道です。

病院によって階級は異なります。

一般のスタッフから副主任、主任、副看護師長、看護師長、副部長、部長など色んな階級があります。

いずれも昇任試験などを受けるなどして、ジェネラリストになっていきます。

ジェネラリストはスペシャリストとは異なり、専門的な介入というよりは、スタッフの管理や病棟全体の管理、多職種との連携に担ったりなど、管理業務を行うことがメインとなります。

患者さんに清潔ケアなどケアを通して直接関わる機会が減り、どのようにしたらスタッフが円滑に勤務することができるのか、どのようにしたら重大な事故が発生することなく看護ケアが実践できるのか、どのようにしたら患者さんの満足度が向上するのかなどを常に検討しながら管理業務として関わっていきます。

病棟の業務ばかりではなく、委員会での役割を任されたりすることもあります。

さらには、夜間などは当直業務で院内のことを把握するなど、階級が上がるにつれて病棟外での管理業務を担う機会も増えてきます。

3.スペシャリストやジェネラリストならずに現場で働き続ける

最後の3つ目はスペシャリストやジェネラリストならずに現場で働き続けるという道です。

スペシャリストもジェネラリストも、数多くいる看護師の中でなることができるのは一握りの人材だけです。

また看護師は退職者や就職者のいずれも多く入れ替わりも激しいため、なかなか同じところに長く勤めている人はいないものです。

その中でも何十年と同じ病院に勤めて、スペシャリストにもジェネラリストにもならずただただ現場で働き続けているスタッフもいます。

このスタッフは、時には管理者よりも病棟のことを知っていて、どのスタッフよりも病棟のことを把握していることもあります。

管理職になったりすると、夜勤がなくなってしまうため、スタッフ時代よりも給料が下がってしまったり、責任や役割が増えてしまうことから敢えてジェネラリストなどにはならずにスタッフのままで勤務している人も少なくはありません。

スペシャリストやジェネラリストになれなかったり、ならなかったとしても、スタッフとして長年勤務することでスタッフの業務を極めることができるため、患者さんのケアを極めたい人にとってはこの道も選択肢の1つとなり得ます。

4.まとめ

看護師の将来の進むべき道について紹介しました。

大きく分けて3つのコースがあり、また3つのコースの組み合わせの中で勤務していくという道がありました。

いずれのコースを選択するかは、実際に勤務しながら検討していったり、上司などに導かれてなっていくものです。

忙しい毎日でなかなか検討することができないという現状もありますが、少し将来のことを考えながら勤務してみてください。

みなさんは将来どのコースで勤務したいですか?

「循環器内科の看護師ってどんな仕事をしているの?4選を紹介!」

循環器内科の看護師ってどんな仕事をしているかイメージがつきますか?

・「循環器内科の看護師=心電図を読む仕事。」

・「急変が多そう…」

・「長期間で入院している患者さんが多そう…」

このようなぼんやりとしたイメージを持っている人が多いと思います。

実際に循環器内科で勤務していなければ、

看護師でもなかなか具体的にイメージすることは難しいでしょう。

そこで今回は「循環器内科の看護師ってどんな仕事をしているの?4選を紹介!」というテーマで循環器内科の特徴から、看護師の4つの仕事について紹介します。

1.循環器内科ってどういうところ?

看護師の仕事内容を紹介する前に、まずは循環器内科について紹介します。

循環器内科には、心臓や血管の病気などを主な治療対象としています。

そのため、色んな病気を持った患者さんが入院しています。

狭心症、弁膜症、不整脈、心不全、糖尿病、動脈硬化など…

色んな疾患を持った患者さんが入院しているので、それぞれの患者さんの状態に合ったアセスメントをしなければなりません。

検査や治療は心臓カテーテル検査、心臓エコー検査、カテーテルアブレーション、ペースメーカー植え込み術、左心耳閉鎖術などを主に行います。

慢性的な疾患が多いこと、生命に関わる重症の患者さんが多いことが挙げられ、慢性の疾患が多いにも関わらずその疾患が生命に直結することもあるという特徴があります。

循環器内科の患者さんが重症化した場合は、ICUやCCUで経過をみていくこともあり、逆に受け入れることもあります。

ICUやCCUとの関わりが深いことも循環器内科の特徴の1つとなっています。

2.循環器内科の看護師の仕事4選

ここまでは循環器内科の特徴について紹介します。

ここからは循環器内科の看護師の仕事を4つ紹介します。

(1)心電図を読み取り、患者さんのケアに生かす

1つ目は「心電図を読み取り、患者さんのケアに生かす」ということです。

これは循環器内科の仕事のイメージの1つでもあります。

循環器内科に入院している患者さんは常時、24時間で心電図を装着している場合がほとんどです。

モニターにはたくさんの心電図波形が出ていて、モニター音も常に鳴っています。

そのため、心電図の波形から、患者さんの状態をアセスメントし、ケアに生かしていく必要があります。

心電図の波形を読み取り、熟達することで患者さんの心臓の状態を知ることにつなげることができます。

例えば…

・不整脈が出ているのは心機能が20%しかないからかもしれない。

・心臓カテーテル検査で冠動脈の狭窄を指摘されているから、ブロック波形が出るのかもしれない。

・心筋梗塞を発症した後の経過を見ているから、ST波形に変化が出るかもしれない。

・ICDが植え込まれているから、VfやVTに気を付けなければならない。

このようなことを心電図から読み取ることができますし、逆に患者さんの状態から心電図

に変化が表れている可能性があり、患者さんのケアに生かすことができます。

私のところでは、勤務開始時、休憩に行く前、休憩から出てきた後、検温に行く前、検温に

行った後、リハビリの前、リハビリの後、不整脈のアラームが出現したとき、その他にも2

時間間隔でモニターのチェックを行っていました。

また、不整脈が出現した場合は、波形を出して、記録として残しみんなで共有するようにし

ていました。

不整脈のアラームの対応は他の病棟よりもずば抜けて早いという、病棟の特徴もあります。

(2)急変の対応

2つ目は「急変の対応」です。

先ほどの循環器内科の特徴でも紹介したように、循環器内科の患者さんは心臓の疾患を持

っている人が多いため、急変しやすい状態にあります。

そのため、急変の対応はスムーズにしなければなりません。

循環器内科の病棟に限ったことではありませんが、急変は毎日起こることでもないため、苦

手としているスタッフは多いです。そのため、急変の対応を普段からシミュレーションして

おくこと、急変の学習会を行い、知識を深めていき、実際に急変したときにチームとしてス

ムーズに動くことができるようにしておく必要があります。

また、急変の対応以外にも、急変をさせないようにするためにはどのように介入すべきかと

という点も大切です。

Kが低い、Mgが低い、心筋の値が伸びてきた…

このような採血結果が出た場合は医師に報告し、早めに対応にするようにします。

急変をさせないように先手を打った対応をとることが大切です。

(3)生活指導をメインとした退院指導

3つ目は「生活指導をメインとした退院指導」です。

循環器内科の患者さんは、悪い生活習慣の積み重ねが原因の疾患を抱えている人が多いで

す。

高血圧や高脂血症、糖尿病、動脈硬化などが原因で狭心症などを起こします。

入院中は規則正しい時間に起きて、カロリー計算された食事を食べて、間食ができなくて、

飲酒や喫煙もできません。

このように規則正しい生活をしているため、入院中に減量できたり、薬の飲み忘れがなかっ

たりと、生活習慣が一時的にではありますが改善します。

しかし、退院したと同時に入院時の我慢が爆発するように暴飲暴食をしたりして、生活習慣が乱れ、心不全の場合などであれば再度症状が悪化し入院するというパターンを繰り返す患者さんが非常に多いです。

「あの患者さんまた来た…」と正直思ったことが何回もある人も多いのではないでしょうか。

何十年と続けてきた生活習慣を入院期間の数日、数週間で見直すことは容易ではありませんが、この生活習慣を何とかして変えなければ入退院を繰り返してしまいます。

なぜ改善することができないのか?どのようにアプローチすると改善できるのか?

自宅で協力できる人はいないのか?

など、色んな要素で検討し改善していけるようにしていきます。

どれも難しい症例ばかりですが、より難しい症例ではカンファレンスで話し合い、医師や看護師、栄養士、リハビリテーションスタッフ、薬剤師がそれぞれの立場で意見を出し合い介入をしていきます。

(4)家族を含めたケアを実施

4つ目は「家族を含めたケアを実施」です。

心臓の病気と聞く=死を連想する家族も少なくはありません。

そのため、繰り返し説明をしていきながら理解を深めてもらいます。

説明をすることが家族へのケアを実施する第一歩として必要です。

また、生活習慣のところでも紹介しましたが、退院後の生活には家族の協力が不可欠です。

家族への疾患の理解を深めていくことで、生活習慣の改善に役に立つことがあるため、本人だけではなく、家族にも繰り返し指導を行っていきます。

3.まとめ

いかがだったでしょうか?
今回は「循環器内科の看護師ってどんな仕事をしているの?4選を紹介!」というテーマで循環器内科の特徴、具体的な看護師の仕事内容について紹介しました。

何となくのイメージがより具体的になったのではないでしょうか。

みなさんの職場でも取り組まれていることもあったと思います。

患者さんの生活習慣の改善は難しいため、みなさんのところではどのように取り組まれていますか?

手根管症候群の体験談NO2

・手術によって現在は回復しているDさん

Dさん(40代男性)は、ある日目覚めた時、突然に両手が痺れていました。

その時は硬いソファーの上で寝ていたため、背骨を痛めたのだろうと思っていました。

しかし、ネットで調べてみると、『手根管症候群』が一番症状に近い病気だと分かりました。

Dさんは、以前腱鞘炎の治療をしてもらった信頼できる整形外科に受診しました。

医者によっては、『手根管症候群』は見分けが難しいとネットに書いていたのですが、その先生は手の症状だけを伝えて診断してもらったところ、手根管症候群だと診断されました。

ただ、その病院では消炎のための投薬治療と、ボルタレンなどの湿布薬、首の牽引だけでそれ以上の治療はしないまま3ヶ月様子をみました。

しかし、夜になると痛みで目が覚めるほどに症状は悪化し、さらにペットボトルのキャップが、自力では開けられないほどになっていました。

焦りを感じたDさんは、セカンドオピニオンを求めてネットで探していると、手根管症候群の専門の病院を見つけることができました。

その時は病名を最初から伝え、改めて電気生理学的検査やレントゲン検査をし、やはり手根管症候群だと診断されました。

電気生理学的検査とは、手首に電気を通し神経の伝達速度を測る検査方法です。

検査の後、先生からは「もっと早く来ないと」と言われ「すぐに手術をしたほうがよい」とも言われました。

手根管症候群の治療では、投薬治療、ステロイド注射、手術と段階的に行うそうですが、注射は人によってはかなり痛いそうです。

Dさんは手術をすることになり最初は左手、そのあと1ヶ月半後には右手を行ないました。

手術の前に点滴と麻酔をするのですが、かなり大きな注射器で手首と手のひらに何度か注射され、この注射が痛かったといいます。

Dさんは、途中から気持ち悪くなって冷や汗をかき、ベッドに倒れ込んだほどで、最初は麻酔によるアレルギーを疑われましたが、迷走神経反射だろうと言われました。

手術は内視鏡を使って行ない、切開部も小さな手術でした。

その時は麻酔が効いていて痺れていますから、切られている痛みは全くありませんでした。

ただ、何かが触られているという感覚はあったそうです。

その後、内視鏡を手首に通すのですが、痛みはないものの、手首に何かが入っているのは分かりました。

次に靭帯を切るのですが、もちろん痛みはないものの、ゴリゴリとした感覚があり、切るというより「削っている」感覚でした。

実際には短時間なのですが、Dさんはその時が一番長く感じたといいます。

そのあと、縫合と包帯で手術は完了しましたが、手術そのものは短時間で30分もかからなかったそうです。

希望者には切るところから、縫うまでを見せてくれるそうですが、Dさんは内視鏡で削っているところだけをカメラで見ました。

当然ながら、あまり気持ちのいい映像ではなかったそうです。Dさんによると、1回目の麻酔が一番辛かったそうで、手術自体は「こんなもん?」という感じだったといいます。

手術後の数時間は手がパンパンになるのですが、手を動かすように指示されました。

なぜかというと、靭帯が固着しないためと、開放された神経が早く元通りになるためなど、色々とあります。

また、麻酔が効いているうちは痛みがなかったのですが、手術あとで麻酔が切れた時はかなり痛みが出るだろうと思っていたところ、そのような強い痛みはなかったそうです。

手術をした翌日、包帯を取って消毒をしましたが、そのあとは大きめの絆創膏を貼るだけでした。

この程度?と思ったそうですが、切開部が小さいためこの程度でよかったのでしょう。

手術後のシャワーは大丈夫ですが、お風呂は駄目でした。

手術後はしばらく、特有の痺れが残っていたのですが、1~2週間ほどしたら除々に軽減していきました。

その後は痺れからくる痛みはほぼなくなったのですが、手術後、一ヶ月経っても一方の中指が真っすぐ伸びず、伸ばそうとすると痛みがでていました。

Dさんは、手術の失敗なのか?と思ってしまいましたが、医師にその事を話すと「ばね指」と診断され、注射を1本打ってもらうとほどなくして回復したそうです。

現在、手術から3ヶ月経ったDさんですが、完全に前の状態に戻ったかといえば、まだ手の違和感が残っているといいます。

そのへんは、筋力が低下しているのかもしれませんが、いつも手が疲れているような感覚があります。

ペットボトルのキャップは簡単に開けることができるようになりましたが、立ち上がる時に手をついて立ち上がるのが、まだ怖くてできないそうです。

ただ、ゆっくりとではありますが、治ってきているという実感があって、あのまま手術をしていなかったらどうなるのか?考えると怖くなるといいます。

・ホルモンバランスの不良から手根管症候群になったEさん

Eさん(50代女性)の場合、ホルモンのバランスが悪くなって手根管症候群を発症したといいます。

Eさんは、乳がんを発症した1年後に卵巣腫瘍になって両側の卵巣を全摘しています。

その後遺症から更年期障害に悩まされるようになりました。

更年期障害といえば、女性のホルモンであるエストロゲンのバランスが崩壊して起こりますが、Eさんの場合、乳がんのホルモン療法で、エストロゲンをゼロにしているため、女性ホルモンを充填することができませんでした。

その後、Eさんは痺れを伴う指のこわばりが出てきて辛かったといいます。

夜中に肘から腕までの痺れが酷く、痛みで目が覚める日々が続きました。

また、物を落としたり、小銭が取れないなどの症状が出て、痺れの為に調理中に火傷をしたり、包丁で手を切ったりといった事もあったそうです。

Eさんにとって一番辛いのが字を書くことで、右手の親指、人差し指、中指の三本が痺れて力が入らず、ペンで字を書くことが難しくなりました。

Eさんは、就活のために手術をすることを決め、今は手術も無事に終わり、抜糸を待っている状況だそうです。

手術に関しては日帰りと入院が選択でき、Eさんは乳がんになった側の手でしたから、腕を圧迫させることを恐れ、入院を選んだそうです。

現在は、まだ痺れが残っている状態ですが、少しずつ痺れが取れるのを待っている毎日だといいます。

・注射によって痺れが回復したFさん

Fさん(50代女性)は、以前から手の痺れがたまにあったそうですが、この頃は毎日のように手の痺れで目が覚めるようになりました。

痺れはしばらくすると治っていましたが、最近ではずっと痺れが取れなくなっていました。

特に左手の中指と薬指の先がピリピリし、自転車に乗った時はハンドルに手をかけているだけでかなり痺れていました。

Fさんは、整骨院で電気治療を受けたのですが、改善されず「首が悪いせいかも?」と思って首や肩のストレッチも毎日行ないましたが、やはり効果がなく、手の痺れで夜中でも目が覚めていました。

Fさんは「このままじゃもう無理」と思い、整形外科に受診することにしました。

病院で左手の中指と薬指がしびれることを伝えると、手関節屈曲テストを行ない、痺れの症状がでるかをチェックしました。

その結果、すぐに痺れがでたことから、「これは手根管症候群です」と言われ、とりあえずその日はビタミン剤の薬をもらって帰りました。

しかし、毎日ビタミン剤を飲んでも改善しなかったため、今度は左手のひらの下の部分にステロイド注射を打ってもらいました。

Fさんは、現在はステロイド注射のおかげで左手の痺れは治まったのですが、右手が気になりだしたらまた注射してあげますと先生から言われたそうです。

最近再読した医療者向けのおすすめの本

selective focus photography of woman holding book

『救命センターからの手紙~ドクターファイルから~』

(Y.H 30代女性)

今回は、最近再読した医療者向けのおすすめの本について要約をしつつ私の感じたことを交えながらお伝えしたいと思います。

少し古い本なので、情報もやや古いものもあるかもしれませんが、医療者として共感できる部分がたくさんあると感じられる本です。

私はこの本を知ってからかれこれ4回ほど読みました。

医療の最前線の場での医療倫理や医療職者の苦悩などが書かれており、私自身様々なことを考えさせられる本です。

◆著者:浜辺祐一

◆著者紹介:1957年兵庫県生まれ。東大医学部を卒業。東大病院救急部を経て国立水戸病院外科に勤務。その後都立墨東病院救命救急センターにて勤務。勤務時代での経験を基にしたものがこの著書である。

以下いくつかの項を要約して紹介させていただきます。

序章 救命センターとは

『救命救急センター』、この言葉からどんなことを想像するだろうか。

という話から、この本は始まります。

〈序章 要約〉

血まみれの重症患者が運ばれてきて、間一髪手術が間に合い一命を取りとめる、そして無事に退院していく。そんな絵に描いたような話は一握りである。

救命救急センターはその名の通り、命に関わる心筋梗塞やくも膜下出血、交通事故や転落、爆発事故の犠牲者などの突発不測の患者に備えている。

そんな救命救急センターではあっても、そこに収容された患者の死亡率は3割をはるかに超えている。

運ばれてくる患者の中で最も多いのは、着院時心肺停止患者と呼ばれる人たちである。

たとえ命を取りとめたとしても一時的なことも多く大半は亡くなってしまう。

また、救命の結果として『脳死』、『植物人間』、『院内感染』といった新たな不幸を生み出してしまうこともある。

この本は将来救命救急センターで働きたいと思っている医師や看護師や救命救急士、将来救命救急センターに来るかもしれない方へ宛てた、著者からの手紙である。

という序章から始まり、様々な実体験をもとに書かれたフィクション小説です。

次にⅠ章の2項目の紹介です。

告知、という言葉は何年か前から良く聞かれるようになり、自己決定などの言葉と共に使われることが多くなってきました。

この章では、救命救急センターならではの告知について書かれています。

〈Ⅰ-2.告知 要約〉

救命救急センターでは、癌などの『告知』と異なり、鬱陶しいと感じる告知劇が多くある。この章では、主治医と研修医とのやりとりの中で、救命救急センターでの告知の迷いが記されている。

50代半ばの女性が酔って階段から落ち、頸椎脱臼骨折、脊髄損傷の状態となった。

運動も感覚も完全に麻痺し四肢麻痺の状態である。

末期がんの患者は、間違いなくその死が訪れてくる。

しかし、脊髄損傷の患者は四肢麻痺という状態なだけでそう簡単には死ねない。

患者は自分の置かれている状態を受容することから始まる。

そういった状況の中で何を生きがいにしていくのかという姿勢は、事実をごまかさないで認めることからのみ生まれる。

主治医が冷酷な鬼になり事実を告げ続けていく、それが本当の『告知』ということなのではないだろうか。

癌などの告知と違って、体が動かない以外は元気、という場面の告知についての葛藤が書かれており、多くの医療者が関わり方を悩む場面だと感じました。

次にⅠ章の3項目についてです。

この項では植物人間について書かれています。

〈Ⅰ-3.植物人間 要約〉

中年の男性が、突然の頭痛と共に倒れ心肺停止の状態になったため、救命救急センターへ運ばれてきた。

奥さんは気が動転してしまい、倒れてから連絡をするまでに時間を要してしまった。

その結果、大脳皮質が働かなくなり植物状態となってしまった。

植物状態で生き残ってしまうということは、残された家族がそれこそ莫大な経済的、肉体的、精神的負担を背負うことを意味している。

そればかりでなく、『あのときもっと早く救急車を呼んでいれば…』というような重い自責の念を、残された家族にいつまでも持たせてしまうこともある。

医者や看護師の努力が、かえって患者さんやそのご家族により大きな苦しみをもたらしているのかもしれない、そんな思いにとらわれてしまうこともある。

そのつらさは、他の誰でもなく救命救急センタースタッフ自身が、現代医学自身がつくり出しているのである。

植物人間となった者を支える家族がいて、その家族の負担は計り知れないものになります。

救命救急センターに“運ばれてしまった”からには、救命しなければなりません。

しかし、それが本当に良いことなのか。

これもまた、医療者に多くみられる苦悩の一つではないでしょうか。

次にⅠ章の4項目について

〈Ⅰ-4.葛藤 要約〉

『人の命の価値に上下はない』というのは確かに正しい。

しかし例えば、たまたま救命救急センターには1人しか収容できないタイミングで、自殺患者と労災患者がだぶってしまい、自殺患者を先に受け入れたようなとき、何とも言えない葛藤が生じるのも事実である。

労災患者は遠くの救命救急センターへ運ばれ、結果命を落とさざるを得なくなることもあるだろう。

そんな患者の家族は理不尽さややり場のない思いをするだろう。

そんな思いが渦巻いているのも救急医療の現場なのである。

『どんな患者でも全力を尽くさなければならない。しかし、本音を言えば、労災患者を優先したかった』そんな医者や看護師のやり切れない思いや割り切れない現実を、これから医療の最前線に出るであろう医者や看護師の卵に、ぜひ知っていて欲しい。

この項では、自殺者と労災患者の救命について書かれています。

そして、医療者の本音、が書かれています。

命は平等、これは間違いないですが、そのように思っていても、時に医療者には葛藤が生じます。

『たらいまわしにされた』『受け入れ先が見つからない』

このコロナ過で、そんな言葉を聞くこともありました。

その中には、このような葛藤を持ちながら現場で業務にあたっていた方たちがいるかもしれません。

また、そこにはご家族の苦悩もあります。

『なんで受け入れ先がないのか』『あの人は助かったのに』

医療の現場には、いつの時代も様々な葛藤があるのだと、改めて実感しています。

次に、Ⅱ章の1項目について

大往生とは、という内容です。

みなさんは、大往生、と聞いてどんなことをイメージするでしょうか。

〈Ⅱ-1.大往生 要約〉

大往生といえば、畳の上で、家族みんなに囲まれて、苦しむこともなく、眠るがごとくにこの世を辞していく、それが大往生というものではなかったか。

これは救命救急センター版大往生の話である。

92歳女性、起こしに行ったら息をしていなかったとのことで救急要請。

92歳で基礎疾患もなく、救命救急センターへの搬送の適応なし。

しかし、息子さんがどうしても救命救急センターへ運んでほしいと頑として譲らず、渋々受け入れることとなった。

到着したが、すでに心電図フラット、瞳孔散大。最低限の処置にとどめ、息子同席のもと死亡確認を行なった。

なぜどうしても救命救急センターへ運んでほしかったか息子へ問うと、『何としても母を大往生させたかった』とのことだった。

息子の考える大往生とは、救命救急センターでできる限りの手を尽くされて亡くなっていく、ということだったのである。

『とことん手を尽くす』ことと『痛めつける』ことは紙一重である。

見送る側や医療者の自己満足になってはならない。

安らかに死を看取りたいと思うなら、患者を大往生させたいと願うのならば、救命救急センターへ運んできてはならないのである。

ご家族のご意向と、医療者側の考えに相違が生じる、というのはよくあることなのではないかと感じています。

日々感じることは、医療者側が患者さんやご家族に対して、共感した上で適切な説明を行い、理解納得していただけるよう親身になって関わっていくことが必要だということです。

昔の小説であはりますが、堅苦しい内容ではなくとても読みやすいと思います。

機会がありましたらぜひ読んでみてください。

リウマチの体験談NO2

良い先生や薬と出会えたことで前向きに考えられるようになったFさん

Fさん(41歳女性)は、リウマチと診断されて約2年になります。

しかし、当時処方されたリウマトレックスも飲んでいたものの、体中の痛みがなかなか消えず、毎日痛みと闘いながら途方にくれていたといいます。

Fさんは、この痛みが永遠に続くのかと思うと、不安で自分が惨めになる一方でした。余り考えると、自分が可愛そうになるからと、あまり考えないようにしていたそうです。

それでも、あまりの痛さに心が折れそうになったといいます。

どんな病気でもそうですが、リウマチも早期発見・早期治療が大切だといわれています。Fさんの場合、血液検査によってせっかく早期発見できたのですが、なかなか改善できず、他の病院やリウマチの専門医をいろいろと調べ、やっと現在の病院を見つけることができました。

その病院の医師は、初めての診察を受けたときに、Fさんは「寛解ではなく治るかもしれない」と思わせるような希望を与えてくれたといいます。

その病院では、リウマトレックスを増量し、その後は相談しながらレミケードを開始しました。

レミケードは生物学的製剤で、その特徴として、開始して6週間後には強い症状(痛みや腫れ)の改善効果があり、場合によっては初回の投与の直後に効果を実感できるということです。

そんな優れた製剤ですから、レミケードの副作用よりも、痛みが消えることの期待のほうが強く、不安感は感じなかったそうです。

そして、待ち望んだレミケードの初点滴を受けたところ、たった一回の点滴で信じられないほど身体が楽になりました。

そして、先生が言っていた劇的に効くという言葉が、こういうことだったんだと実感し、感動したそうです。

また、体に痛みがない生活がこんなに幸せなんだと思ったといいます。

Fさんは、痛みが完全にゼロになったわけではないものの、身体的に苦痛がなくなったことで気持ちが楽になりました。

レミケードの副作用はなく、あとはこのままレミケードが効き続けてくれることを願うのみでした。

Fさんは、この先どうなるかわからないといいながら、信頼できる先生や看護師さんたちに出会えて、前向きに考えられるようになりました。

リウマチの治療は、日々進歩していますから、新薬が次々に開発されることでリウマチの患者さんたちが、以前よりも格段に良い治療を受けることができるようになりました。

Fさんは、先生や看護師に感謝しているそうです。

・エンブレルが効いたというGさん

Gさん(72歳女性)は、リウマチの治療を開始して約1年半になります。

実はその1年以上前から、手足や肩などに痛みがあったといいます。

整形外科やリウマチに詳しい先生にも診てもらいましたが、その時はリウマチではないといわれていました。

ところが、2月の寒い時期の朝に、体が硬くなり痛みもあって起き上がるのが大変になり「これは普通ではない」と感じ、受診したところリウマチと診断されました。

Gさんは、その頃からリウマチの治療が始まりました。

現在は川崎医大に通院するようになり、リウマトレックスとエンブレルで治療をしています。

Gさんにとって、エンブレルはとてもよく効きました。エンブレルを注射した翌日くらいから、朝の痛みがかなり楽になったそうです。

今は一番問題なのが右手首で、今も進行しているようですが、それでもかなり楽になったといいます。

・新しい担当の先生の言葉で勇気と元気をもらったというHさん

Hさん(46歳女性)は、最初は指の痛みから始まり、その後手首が痛くなって顔を洗えない状態だったそうです。

また、夜寝ていても痛みで目が覚めることが続いたため、病院を受診しました。

診断の結果リウマチだと言われ、投薬治療をすることになりましたが、指の関節は痛くなるばかりで、雑巾も絞れない状況でした。

さらに、手で何か掴むということが出来なくなり指も腫れ、何をするにも痛みを伴いました。

仕事でパソコンを打つにしても、指に痛みが響いて毎日が苦痛だったそうです。

Hさんは、以前「皮膚筋炎」を患って入院していたことがありますが、何年もかけて治療し、やっと落ち着いたことで4年前にステロイドを中止することになりました。

しかし、そこからまたリウマチと診断され、皮膚筋炎とリウマチの2つの病気と闘うことになってしまいました。

そんなとき、新しく担当になった先生から「大丈夫。指は変形しないし、痛みもなくなる日が必ず来ます」と言ってくれたそうです。

先生のそんな力強い言葉で、Hさんは勇気と元気をもらって、本当に嬉しかったそうです。

まだ指に痛みも腫れも残ってはいるものの、少しずつ良くなっていることで前向きになれたといいます。

・最初は自分がリウマチであることを認めたくなかっというIさん

Iさん(55歳女性)は、ナースとして働いている時にリウマチだと診断されています。

それまで地元の医師から診てもらったこともありましたが、確定診断ができずに歳月だけが過ぎていったといいます。

ある日、耐え難い痛みが一晩中続き、泣き明かしたこともあり、当直の勤務中に痛みに襲われ師長に助けを求めたこともありました。

その時は、翌日にはなんとか仕事ができるようになっていましたから、重度の神経痛くらいに思っていたそうです。

Iさんは、30年以上も医療現場にいながら、どうして?と思ってしまったそうですが、自分の健康に自信を持っていたし、自分がリウマチだとは認めたくなかったのでした。

現在のIさんは、抗リウマチ薬の内服治療で仕事も家事もこなしているものの、将来の自分がどうなっているのか心配になることもあるといいます。

しかし、今の生活の質を落とさないために、可能な限り治療を続けていきたいと思っているそうです。

・最初はリウマチの症状であることに気が付かなかったJさん

Jさん(40代女性)は、数年前の冬の日の夕方、突然に指の痛みを感じ、指を少し動かしただけでも激痛がしたといいます。

そして、よく指を見ると1本だけ第一関節辺りから、指の付け根が腫れ上がっているのが分かりました。

その日は、ちょっとした動きにも指の痛みが出て、Jさんにとっては我慢できる痛みのレベルを超えていたそうです。

その時は指の痛みを打撲と思い込み、湿布薬を貼って寝たのですが、その湿布さえも触ると痛く、冷やしても腫れは一向に引きませんでした。

Jさんは、翌日に病院で診断を受けることにし、レントゲンや採血など一通りの検査をして結果を待っていました。

検査結果が出た時、先生からは家族や親戚にリウマチの人がいないか、常用している薬はないか、朝起きた時に手がこわばらないかといったことを聞かれたそうです。

Jさんは、薬を飲んでいなかったことや、親戚や祖母に軽いリウマチの人がいることを伝えました。

また、朝になると手がしばらくスムーズに動かなかったことがあったと伝えました。

Jさんは、寒いから手が動かなかったと思っていて、まさかリウマチの症状だとは思っていませんでした。

炎症反応の数値が高く、痛みも強かったことから、痛みを取る治療をすることになりました。

また、リウマチの進行を遅らせる薬と痛み止めの薬を飲みました。

そして、熱を測ったり朝のこわばりを自己管理するために、リウマチノートを買いました。Jさんは、治療を半年続けたことで、痛みも軽減し、炎症反応も正常値に戻ったことで薬も辞めることができました。

看護師で管理職になるためには?どうしたらなれるの?

positive businesswoman doing paperwork in office

看護師としてキャリアアップを考えた時に選択肢の1つとして上がってくるのが「管理職」です。

病院など比較的大きめの職場で働く管理職にはどのような種類があるのでしょうか?

資格取得が必要なのでしょうか?

ここでは、看護師で管理職になるための方法やメリット、デメリット、さらに向いている人の特徴などについてわかりやすく解説します。

管理職の種類と仕事内容

管理職と一言でいってもどのようなレベルや働き方があるのでしょうか?

ここでは、病院の看護師として働く3つの分野の管理職について詳しく見てみましょう。

看護部長

病院に勤務する病院看護師スタッフ全員のトップ、リーダーとして働くのが看護部長です。

看護部長の主な仕事は、看護部業務計画の作成、施設運営の参画、病院長や事務長・現場看護師との交渉や調整などを行い、看護師スタッフが働きやすい環境構築に努めます。

看護師長

各病棟や外来に勤務する看護師のリーダーとして働くのが看護師長です。

看護師長の主な仕事は、病棟内・外来看護の目標設定や達成評価、各看護師の育成・支援、各病棟・外来看護師スタッフの勤務表作成、患者クレーム対応や危機管理など看護師が安全に業務を行うことができるように管理します。

看護主任

各病棟や外来に勤務する看護師長をサポート、また看護師の手本となるように働くのが看護主任です。

看護主任の主な仕事は、他のスタッフの手本となるような一般看護業務、病棟や外来運営状況把握や問題点改善、新人スタッフの教育など看護師が困ったときのサポート役を担います。

管理職になるためには?

管理職には主に上記で示した看護部長や看護師長、看護主任などがありますが、国家資格などはありません。

病院や組織などによって4年制大学卒などの規定があるところもありますが一般的ではありません。

数年前までは准看護師でも管理職になっている人も見られましたが、近年では看護師でも学歴を求められるようになってきているため、准看護師での管理職は難しいといえるでしょう。

所属部署で看護師経験を積み、中堅以降になると管理職としての資質があると認められた看護師に師長などが推薦し始めることが多いようです。

推薦を受けた看護師は一定の管理者研修を受講し、管理職認定試験(組織によって名称は異なります)を受験、面接を受け合格後看護主任から管理職になるという道が一般的です。

いずれにしても推薦が必要なため、日々の仕事ぶりから現場や師長からの信頼や人望が必須といえるでしょう。

管理職として働く2つのメリット

管理職として働くメリットについてそれぞれ詳しくみてみましょう。

職場の方針を提案できる

誰もが看護師として働いていく中で、職場に対し変えて欲しい、変えていきたい方針などが出てくるでしょう。

看護主任や看護師長などの管理職になると外来や病棟などの現場の意見を看護部長に発言できる機会が増えてきます。

より良い看護体制、職場作りに貢献できるかもしれません。

夜勤が少なくなる

看護主任は数回夜勤が入ることがありますが、一般的な看護師スタッフと比較すると夜勤の回数は少なくなることが多いでしょう。

また、看護師長になると病院全体での当直夜勤が月に1回程度入ることがありますが、病棟など職場の夜勤をすることはありません。

一般の看護師スタッフと比較すると規則正しい生活ができます。

管理職として働く2つのデメリット

管理職として働くデメリットについてそれぞれ詳しく見てみましょう。

責任が大きい

病棟や外来など管轄する部署で発生したミスなどについて、現場の監督者としての責任を問われることもあります。

通常の看護業務に加えて、看護師のマネジメント業務もしなければならないなど業務量が増え、一般看護師スタッフと比較すると日々の業務に対する責任は大きくなります。

人間関係の板挟みに合いやすい

医師と看護師、現場スタッフと上司など人間関係の板挟みに合いやすいという点もデメリットの1つといえるでしょう。

看護師という仕事は人間関係の難しさを感じる職場でありますが、管理職になることで一層難しさを感じることが増えるでしょう。

管理職に向いている人の6つの特徴

管理職に向いている人の特徴を詳しく見てみましょう。

人を育てる力がある人

管理職とは病棟や外来など現場で働くスタッフを管理する職業です、

理想を押しつけたり、頭から叱る管理職では看護スタッフは育ちません。

そのため、統括する部署のスタッフ1人1人が抱えている問題を把握し、寄り添える人でなければなりません。

個々の看護師スタッフの性格などを見極め、それぞれに合った教育や指導ができる人が向いているといえるでしょう。

明るく前向きな人

病棟や外来のリーダーとして働く管理職は、その部署の顔ともなります。

職場の雰囲気は管理職の雰囲気によっても左右されます。

どんな時でも明るく前向きにふるまってくれる看護主任や看護師長のもとで看護師スタッフも明るく安心して働くことができるのです。

忍耐力がある人

患者さんや家族からのクレームや看護師スタッフへの医師からの意見などに対応するのも看護管理職の役割となってきます。

イラっとするような意見や理不尽な対応を受けてもグッと堪え、明るくいつもと変わらないようにふるまえる忍耐力も必要となってきます。

コミュニケーション能力がある人

一般的な看護師スタッフとして働く場合にもコミュニケーション能力は必要ですが、管理職として働く看護師は関わる幅が広がるため、一層のコミュニケーション能力が必要となってきます。

現場と上司の板挟みに合った時や患者さんや家族からクレームに合った時も双方の話を丁寧に聞き、双方が納得できるような対応能力が求められます。

責任感がある人

管理職は一般看護師スタッフと比較すると通常の看護業務に加えて、看護師のマネジメント業務もしなければならないなど業務量が増え、日々の業務に対する責任も大きくなります。

また、病棟や外来など管轄する部署で発生したミスなどに対しても現場の監督者としての責任を問われることもでてくるでしょう。

自分自身の業務のみではなく、まわり全体を見渡し、現場全体の改善に取り組むことができる責任感を持った人が向いているでしょう。

改善提案スキルのある人

どんなに良い環境や条件の職場を探しても完璧な職場はありません。

1つの問題を解決するとまた新たな問題が見えてくることが多いでしょう。

常により良い環境や職場を目指して、積極的に一般看護師スタッフの意見を取り入れ、改善案を病院長や事務長などへ発信していける能力が管理職には必要でしょう。

まとめ

管理職になるためには、国家資格はないものの、一般の看護師スタッフよりもさらに高いさまざまなスキルが求められるため、誰もがなれる職ではないということが理解できたでしょうか。

管理職として働くことでのメリットやデメリットもありますが、職場の方針や改善案を提案できる機会が増えたり、現場看護師スタッフの育成や施設運営に携わることができるなど看護師スタッフとして働く以上にとてもやりがいを感じることができる確かな職であることは間違いないでしょう。

まずは日々の1つ1つの仕事をしっかりこなし、同僚の信頼を得ることからはじめ、ぜひキャリアアップの道の1つである管理職に興味のある人は挑戦してみてはいかがでしょうか。

適応障害の体験談NO2

・森田療法によって考え方が変わったCさん

Cさん(30代男性)は、自分では特に神経質な性格ではないといいます。

ただ、過去を振り返ると色々な出来事があったと振り返りました。

Cさんが、25年前に中学に入学した頃、学校内に応援団があって、「明日までに校歌と応援歌を覚えてくるように」と応援団長から言われ、家に帰ってから歌詞と覚えたものの、翌日の全校集会で校歌指導員の怒鳴り声が響いて不安になりました。

結局Cさんは大きな声が出せず、歌も忘れてしまいました。

最終的にCさんは全校生徒の前で1人だけ立たされ、その後に先輩の指導員から足で蹴られたといいます。

また、目の前にいた先生も平然としていて、「なぜ覚えてこなかったんだ」とCさんの首根っこを掴んできたそうです。

そんな経験をしたCさんは、その後もずっと尾を引き、家に帰って嫌なことがあると、親に何でも不満をもらすようになっていました。

また、対人関係でもトラウマになってしまうようなことがあったといいます。

さらに、何度か同じ先生から訳もなく自分の感情から強い口調で叱責されたこともあったそうです。

そんな時、Cさんは生きることに不安を感じ、勉強にも集中出来なかったために成績もあまり良くありませんでした。

そんなCさんでしたが、部活動は入るつもりがなかったものの、野球部に入りました。

その野球部は弱いチームでしたが、Cさんはそれなりに体を鍛えて頑張りました。

しかし、中学2年生になった頃に、先輩から注意されてノックバットでお尻を思い切り叩かれたことで、精神的に耐えられなくなり、数日間登校拒否を起こしたこともありました。

Cさんは、高校に進学してからも野球を続けましたが、その間も色々な出来事があったそうです。

自分の精神的弱さはなかなか抜け出せずにいたCさんは、高校3年生の時に、体力に自信を着け、競輪選手になることを目標にしようと思いました。

高校3年生の時に、両親やクラスの担任と相談し、将来は競輪の選手になりたいとい思いを語りましたが、先生に反対されました。

Cさんは先生に反対されながらも受験しましたが、結果は不合格となり、自分は本当に弱い人間なんだと落ち込み、将来に対して不安を感じるようになりました。

Cさんは結局19歳で公務員になり、その後は毎日が充実した日々を送っていました。

仕事に対してもやり甲斐を感じ、必死に仕事を覚える日々が続いていました。

また、仕事とは別に、少年野球でもボランティアとして指導員を頼まれ、毎週仕事の休みである土曜と日曜に野球の指導をしていました。

最初の8年間は地元で活動し、その後は隣の県で4年間、さらに別の県に3年間を毎週通いました。

しかし、仕事と野球の活動を合わせると、家で過ごせるのは20日に1度くらいで、断ることができないCさんの性格から、無理をするようになっていました。

仕事の方も公務員の規律が厳しくなり、人事異動があって苦痛の毎日になってしまいました。

部署も今までとは違った総務で営業本部に配属されました。

その部署では頑張ったつもりでしたが、大きな成果を上げることができず、結果を求めてくる上司から問い詰められることもあり、嫌な思いをしたそうです。

そんな日々が続いていたある日、通勤途中を含め、会社内でも吐き気を感じるようになり、毎日が憂鬱な気持ちになりました。

朝礼では毎日のようにどなり声が響き、それまでは自分から進んでしていた業務も手が出せずになっていました。

何もする気が起きなくなり、上司に相談すると「お前は逃げている。考えが甘い。大きな声を出して部下を怒鳴りつけないとストレスを発散できない」などとCさんにとって信じられない言葉が帰ってきたといいます。

Cさんは、この部署から逃れたいと思い、異動願いを出しましたが、希望が叶いませんでした。

結局我慢をしても、Cさんは職場の環境が馴染めないままでした。

Cさんは休暇をもらって病院を受診しました。その病院は、11年前に1度外来で薬をもらったことがありました。

そこの先生からは、意欲低下による軽いうつ病と診断され、その後もすぐれない体調と闘いながら仕事をしましたが、職場で馴染めないCさんは周りからの挨拶も少なくなっていました。

そんな中、とうとうCさんは朝起きれずに吐き気を感じるようになりました。

上司に連絡すると、病院に言ってこいと指示され、すぐに病院を受診したところ、「少し休んだほうがいでしょう」と言われ、入院することになりました。

入院中は精神科開放病棟の患者として治療を進めながら回復し、1ヶ月で退院することができました。

Cさんは、職場に復帰することが怖いと思いながらも、しばらくは自宅で療養することにしました。

療養している間は、毎日のように図書館やプール、体育館のジムで汗をながし、体力をつけて職場復帰を目指しました。

就業支援委員会という職場復帰を判定するための面接に行き、一度は不合格になりましたが、その2ヶ月後の面接では、2ヶ月間の日勤という条件で、約8ヶ月振りに職場復帰することができました。

ところが、8ヶ月ぶりに復帰したCさんに対し、周囲の目は変わっていて予想外の仕打ちがまっていました。

上司からはいきなり怒鳴られ、考えられないような暴言を吐かれたりしました。

周囲の目も「あたなはこの職場には必要ない」といった雰囲気になっていて、それまで頑張ってきた自分が消しゴムで消されたかのような気持ちになったといいます。

そんなことから、人間不信に陥ったCさんは、1週間という短い期間に何度か取り返しのつかないようなミスを犯してしまいました。

Cさんは処分を受け、始末書も書かされました。

Cさんは再び先生と相談して再入院することになりました。

Cさんは以前、うつ病は森田療法で治せるという本を読んだことがあり、ちょうどその時に、森田療法を先生から勧められました。数ヶ月はかかっても根気強くやれば治せると思い、森田療法を試そうと思ったそうです。

Cさんは、まず、臥褥(がじょく)期という1人で横になっている時期を1週間過ごすことになりました。

Cさんは、個室に閉じこもり、外の景色も見ることもなく、たまに先生が入ってくると、「必ずプラスになるから」と話していました。

その時は夏だったため、途中から体や髪の毛が痒くなってきましたが、最後まで我慢していました。

そうしているうち、Cさんは不思議なことに嫌だった仕事のことも少しずつ忘れるようになり、前向きな気持ちになっていきました。

臥褥期を終えたCさんは、軽作業期、重作業期と進んでいきました。

Cさんにとってこの森田療法は、自分を見つめ直すよい機会となり、病院に入院しているというイメージとは程遠く、規則正しい職場の研修を思い出す寮生活のようだったと話しています。

畑作業にしても、子供の頃に一緒に手伝ったこともあって馴染み深かったそうです。

家でも畑を借りて農作物を作っていましたから、今後は手伝うことも出来るのでとてもプラスになったといいます。

指導員から畝つくりや荒起し、追肥、間引き、水やりといった色々なことを教わり、外で太陽の光を浴びながら作業することの大切さを教わりました。

また、病院の職員さんが定年を過ぎても元気よく働いている姿を見て、今後の刺激になったそうです。

Cさんは、その病院を退院し、しばらく療養を続けながら外来で通院することにしました。

「新人看護師が悩んだときにできることとは?」

新人看護師には多くの悩みがあります。

特に3大悩みと言われているのは、

・仕事ができない、仕事がしんどい

・勉強が大変すぎる

・人間関係がつらい

ということです。

しかも、ここでは挙げきれないくらい新人看護師には悩みがありますが、主にはこのような3つの悩みを抱えていると言われています。

新人看護師は会社員を経て看護学校に入学した人以外は、看護師になる前までせいぜいバイトでの社会人経験しかなく、学生からいきなり社会人として生活が始まることになります。

さらには、医療現場という特殊な環境下での勤務となり、常に緊張感を強いられることになります。

これらのことが原因で色んなことを悩みながら新人看護師として過ごすことになります。

では、これらのことで悩んだとき新人看護師はどのように対応していけばいいのでしょうか?

そこで今回は「新人看護師が悩んだときにできることとは?」というテーマで、新人看護師が悩んだときにはどのように対処していけばいいのかということについて紹介します。

1.新人看護師はどのようなことで悩んでいるのか?

新人看護師の悩みに対する解決方法を紹介する前に、冒頭でも紹介した新人看護師の悩みについてより具体的にみていきます。

新人看護師の3大悩みと言われているものを一つ一つ具体的に紹介します。

仕事ができない、仕事がしんどいということは、学生時代に学んだ知識や技術が実践の看護現場ではなかなか発揮することができないということが挙げられます。

どの技術も緊張感のある現場で実践しなければならないため、なかなかうまく実践することができませんし、注射という1つの技術でも使う道具が違ったり、環境が違ったりすると教科書通りにはいきません。

注射は看護師として基本的なことであり、1日のうちに何回もしなければならないことでも関わらず、注射すらうまくできないということは新人看護師にとっては大きなストレスであり、悩みでもあります。

そのため、看護師の業務の中ではうまくいかないと感じることが多々あります。

勉強が辛いということは、医療の現場でも勉強をしなければならないし、帰宅してからも勉強をしなければなりません。

一つ一つの技術を行う前に、一つ一つ確認したり、勉強したりしなければなりません。

そのため時間もかかり、業務が滞ってしまうということも悩みとなります。

また、勤務する診療科が異なれば勉強することも異なります。

教科書では書いていないことも行われていますし、現場でのやり方っていう教科書に載っていないこともしていかなければなりません。

実践の中で分からないことがあれば帰宅して調べることも必要です。

次の日にはある程度分かっていなければ、最悪の場合医療ミスにつながってしまう可能性もあるため帰宅後に勉強するのは半ば強制的と言えるのかもしれません。

さらには、学生時代には同級生とか同じ世代の人たちと関わればよかったのですが、社会人となると20代~60代と非常に幅広い世代の人たちと関わって仕事をしていきます。

しかも、看護師だけではなく、医師や薬剤師、リハビリスタッフなど考え方が異なる人とも関わる必要があります。

このように新人看護師は色んなことに悩みながら、ストレスを抱えながら仕事をしていくことになります。

2.新人看護師が悩んだときにできる5つの解決方法

では、新人看護師が悩んだときにどのような解決方法があるのでしょうか?

ここでは5つの方法について具体的に紹介します。

(1)同期に相談する

まず1つ目は同期に相談するということです。

同期は同じような道をたどりながら進んでいきます。多少の早い、遅いはあるかもしれませんが、同じような悩みを持っている可能性が高いです。

同じ悩みを持っている可能性があるため、それに対する解決方法も持っているかもしれません。

同じような境遇にあるからこそ悩みを解決できます。

悩んだときはまず同期に相談することをおすすめします。

(2)プリセプターに相談する

2つ目はプリセプターに相談するということです。

近年では新人看護師への教育が努力義務となっており、多くの病院や施設では新人にはそれぞれ指導者がつくことになっています。

指導者は新人看護師についてよく考えてくれており、よく見ています。

しかも、指導者にも新人看護師と同様に新人看護師の時代があり、同じような悩みを持ってきています。

プリセプターに相談することで解決方法を教えてくれるだけではなく、その悩みに共感してくれることでしょう。

(3)信頼できる同僚に相談する

3つ目は信頼できる同僚に相談するということです。

信頼できる同僚というところが大切です。

誰でもいいというわけではありません。

間違った人に相談してしまうことで、同僚全員に周知してしまうことになりかねません。

1つの噂話が日に日に大きくなってしまい、間違った認識を持たれるということも少なくはありません。

悩みを話しても大丈夫なのかというところをしっかりと見極めた上で相談するようにしたほうがいいです。

さらに、同僚はプリセプターと同じように新人看護師と同じような悩みを抱え、それに対して解決してきた経験があるため、解決方法を教えてくれるでしょう。

(4)上司に相談する

4つ目は上司に相談するということです。

プリセプターや同僚も解決方法を教えてくれるでしょう。

しかし、その悩みが職場の仕組みやシステムにあるのであれば、プリセプターや同僚ではなかなか解決する方法を教えてくれることはできず、実際に解決することはできないのが現状です。

上司であればその仕組みやシステムが適切であるかどうかを判断するだけではなく、実際に問題解決に向けて職場内で発信したり、解決することも可能です。

そのため、上司に相談し、解決してもらうようにしていくことが大切となってきます。

(5)異動や転職を含め場所を変える

最後の5つ目は異動や転職を含め場所を変えるということです。

これまでに紹介した4つの方法を実践しても、解決することができないということでは状況を変えるのは厳しいのかもしれません。

看護師には色んな職場があります。

同じ病院内でも違う診療科での勤務となれば、働いているスタッフも違いますし、対象としている疾患も異なるため、することが全然異なります。

転職して違う職場となればより違ってくるでしょう。

そのため、悩みを解決できないと感じたり、合わないと感じた場合は異動を願い出たり、思い切って転職する方法も1つの手かもしれません。

3.まとめ

今回は実際に新人看護師が悩んでいることやその解決方法について紹介していきました。

新人看護師は本当に多くの悩みを抱えています。

しかし、新人看護師がたどってきた道はこれまでに多くの看護師が経験してきています。

色んな人に相談することで解決方法を教えてくれたり、仕組みやシステムから変えてくれる可能性があります。

悩んでしまったときにはひとりで抱え込まずに、誰かに相談してみましょう。

今回紹介したことを新人看護師の人はぜひ参考にしてみてください。

パニック障害の体験談NO2

・ネットの掲示板に参加することでパニック障害と神経症を改善させたDさん

Dさん(36歳女性)は、物心ついたときから教育熱心な母親の期待に答えることだけを考えていました。

小学生の頃は、勉強をしているふりをして、部屋に閉じこもっているような生活をしていました。

Dさんは、精神的に疲れると指の皮が向けてしまって、何ヶ月も治らないこともあり、アトピーのような症状もありました。また、人前で発表するとか、順番に当てられるようなシチェーションが嫌いで、異常に緊張してしまう自分が情けなくなっていました。

地域の学校に通っていなかったDさんは、学校から帰って1人公園で逆上がりの練習をしていたような寂しい子供時代を過ごしていました。

Dさんの人生を変えるような出来事が中学受験で起きました。

Dさんは、絶対に受かると思っていた付属の中学校の受験に失敗したことで、「親の期待に答えられなかった」という思いが募りました。

反面、「これからは親の期待に答えなくていい、普通の人間になろう」と思うようになり、それまでの勉強ばかりの生活から、勉強以外にも目が向くようになりました。

勉強以外のことに気持ちが向くようになったDさんは、成績が落ちていきましたが、それでも高校、短大と楽しい日々を過ごしてきました。

社会人になったDさんは、このまま楽しい生活が続くだろうと思っていました。

そんなDさんでしたが、30代前半にパニック発作を起こしたことで、それまでの人生が変わってしまいました。

Dさんがパニック発作を起こすようになったのは、Dさんの夫が腎臓がんになった頃でした。

それまで、結婚してから夫に頼りきっていたため、夫が腎臓がんになってしまってうろたえました。

「もし主人が死んでしまったら、1人では生きていけない」という思いが頭を常に駆け巡っていたといいます。

本人の方がつらいのだから、私がしっかりしないといけないとDさんは明るく振る舞いながらも、夜は眠れない日々が続きました。

ちょうどその頃、Dさんの父親が入院したり、母親が体調を崩すなどしていましたから、よけいに自分が頑張らなければという思いが強くなりました。

そんな思いが続いている頃のDさんは、仕事に行っている時だけが忘れることができて楽だと思っていました。

その後、夫の抗がん剤治療も終わり、退院すると今まで我慢していたものがあふれるように、出勤途中でパニック発作が起きるようになりました。

発作のときは、突然不安感に襲われ、手足がしびれて、脈も早くなってきて、Dさんの場合背中も痛くなっていました。

倒れることはありませんでしたが、背中の痛みが腰の付近まで広がり、治まるまでは前のめりの姿勢でうずくまっているしかありませんでした。

Dさんは、最初はこの発作がパニック発作だとは分からず、発作の時に痛みもあったことから、病院で検査してもらいましたが、異常はないと言われました。

他の人にこのことを話すと、「自律神経失調症」ではないかと言われていました。

Dさんは、また発作がくるかもしれないと思うと、仕事も手につかず、とりあえず仕事を休んで寝ていました。

そのうち発作への恐怖から、パニック障害特有の予期不安が起きるようになりました。

特に、逃げられないような場所、通勤電車、高速道路での渋滞などで発作が起き、やがて車を乗ることも、運転することも出来なくなりました。

Dさんが日常生活で一番困ったのが、スーパーのレジに並ぶことが出来なくなったことでした。

Dさんは、並んで待つという行為ができなくなり、やがて銀行や病院など、怖いと思う場所が増えていきました。

Dさんは、日々の生活が耐えられなくなり、心療内科を受診することにしました。

それまで、不安を持ちながらも続けていた仕事を辞めた頃から、とらわれの気持ちが酷くなり、家に引きこもるようになり、朝から晩まで、症状のことを考えるようになりました。

そんなとき、歯科医院に行った時に強い発作を起こし、辞めていた薬を飲むようになりました。

Dさんは、薬を飲むことが嫌いで、飲みたくないのに飲まないと外出できないという葛藤が始まり、薬神経症になっていました。

Dさんは、ネットでパニック障害の事を調べていると、乗り物恐怖を持っていた人が元気に会社に行けるようになり、薬もやめられたという話しを見つけ、そのHPの掲示板に参加するようになりました。

そのHPでは、森田療法による治療を勧めていました。

その頃のDさんは、どんなことでも不快を感じた時に、周囲の人のせいにしていましたが、それがわがままだったことに気がついたといいます。

Dさんは、神経症になってそれまでやっていたスポーツも止めてしまいましたが、1年前から自転車を始めたことで、少しでも外の空気に触れることができ、季節の移ろいを感じられるようになりました。

・投薬治療と自分なりの「手帳術」で症状が回復したEさん

Eさん(30代男性)の場合、2年前の深夜に自宅にいて、突然立っていられないほどのめまいに襲われ、脳の中で何かが起きているのではないかという不安を持ちました。

たとえば、駅のホームなどで気を失って倒れたらどうしようと思うと、不安で仕方ありませんでした。

Eさんは、当時、休日も働かないといけないほど仕事が忙しく、強いストレスを感じていたといいます。

会社の人からは「最近仕事に身が入ってない」などの指摘を多く受けていましたが、そんなふうに見られていたことにショックを覚えたそうです。

Eさんの場合、横になったときにめまいを感じるそうで、その時は「このまま元に戻らなかったらまずいな」と思うことが、Eさんにとって死の恐怖だったそうです。

また、診察の時に医師から「気を失うことがあると危険だ」と言われ、そのことも恐怖心を増加させていたようです。

Eさんの性格は、我が強く、何でも自分でやらないと気がすまない性格で、仕事でも他の部署が扱うよう業務も抱え込んでいたといいます。

周囲の目を気にせず、のめり込みやすいところがあると自覚しているそうです。

Eさんが最初に発作が起きた時、奥さんに救急車を呼んでもらっていますが、病院に着いた時にはなぜか落ち着いていました。

後日、再検査のために病院に行きましたが、結果は異常なしでした。

Eさんは、深夜になるとめまいを感じていましたから、搬送された病院とは別の内科に受診しましたが、検査結果はやはり異常なしでした。

その後、Eさんはどこの病院に行けばいいのか悩みましたが、脳外科で脳のMRI検査をし、神経外科では心電計による脈拍検査をしました。

それらも、やはり異常なしといわれ、この症状がどこから来ているのか悩んでいる時、Eさんの妻が、「もしかすると心療内科に行く必要があるかもしれない」と専門の心療内科を調べてもらい、そこで受診するとパニック障害だと告げられました。

パニック障害では、投薬療法と行動認知療法で治すのが一般的ですが、Eさんは、具合が悪くなった時に薬をもらう程度でした。しかし、自宅での症状はずっと続いていたそうです。

また、Eさんがパニック障害によって会社を休んだのは、最初の発作のときの翌日だけでした。

ですから、会社には病気のことを話していないそうです。Eさんは会社に隠しているというより、話す必要がないと感じていました。

というのが、発作は深夜の自宅だけで、勤務時間中には支障がでなかったこともあります。

Eさんのパニック発作を治療したのは、医師から処方された薬だけで、その薬でかなり症状が楽になったそうです。

他には、テレビにも出ているメンタリストの「手帳術」を自分でアレンジして試しているといいます。

「つらいと感じる自分の行動」と「それが楽になる行動」をノートの左右に書き分けるといったものですが、これによってかなり効果があったといいます。