アルコール依存症の体験談NO2

person holding clear drinking glass

・自助グループに通うことで断酒することができたCさん

Cさん(30代男性)は、初めてお酒を飲んだのが祖父の葬式の時でした。

その時、親戚の人から「お前も飲め」と言われ、酒を飲んで帰宅したのですが、胃が猛烈に痛くなり、急性すい炎になってしまいました。

そんなことあったため、Cさんはそれから2度と酒を飲まないと思っていたのですが、あることがきっかけとなって、逆にお酒にのめり込むようになりました。

それは、ある朝、母親がノイローゼになり、普段とは違う顔つきで「殺される、助けて!」と叫びながら部屋に入ってきたときからでした。

その前日まで、何事もなかったのにいったい何が起きたのか、当初は全く分からなかったといいます。

あとから分かったことですが、Cさんの母親は仕事で大変なストレスを抱えていて、さらに更年期障害も重なって、不安定な精神状態にあったためでした。

Cさんの母親は、すぐに救急車で精神科の病院に運ばれ、そこに3ヶ月入院していましたが、その後は何事もなかったかのように以前の母親に戻っていたそうです。

しかし、Cさんにとって、あの日の母親の急変が忘れられず、不安な日々が脳裏に焼き付いていました。

その時期、世の中がバブル崩壊し、ニュースといえば暗い話題ばかりで、Cさんも大学受験の前でしたが、その競争も熾烈で気分が落ち込む日々が続いていました。

Cさんは、受験勉強も手に付かなくなり、苦しい毎日を送っていました。

Cさんは、このままではいけないと思い、精神科を受診して精神安定剤や抗うつ薬、睡眠薬といった薬を処方されました。また、そうした薬と一緒にお酒を飲むようになってしまいました。

本来なら、薬とお酒は併用することは危険なのですが、それでも飲んでしまったそうです。

お酒と薬を飲むと、かなりぼ~っとなりますから、参考書を読んでも字をまともに追うこともできず、入試に失敗してしまいました。

Cさんは、そこから予備校に通いますが、お酒と薬を飲みながら生活していましたから、2度目の受験も失敗してしまいました。

3年目でようやく保育科の短大に合格しました。

保育科を受けたのは、たまたま近所の子供をあやしていた時に、そのお母さんから「あなたは保育士が似合うわね」と言われたことからでした。

しかし、大学では苦手なこともあり、ピアノの授業がついていけず、講師は失敗したときに手を叩くのですが、それが嫌だったといいます。

また、その頃付き合っていた女性がいたのですが、彼女から振られ、自棄になって朝からお酒を飲むようになりました。

Cさんは、その時のことを振り返ると、ストレスから逃げるために、お酒や薬を飲んでいたといいます。それでも短大を無事に卒業したCさんは、保育士として就職したのですが、もともと女性の多い職場ですから、なかなか馴染めませんでした。

Cさんは、仕事のやり方もよく分からず、失敗したらどうしようと不安になり、仕事中でもお酒を飲みたくなったそうです。

そして、出勤途中にコンビニで350mlの缶ビールを買って更衣室に隠していました。

そんなCさんは、2ヶ月後にバイクで通勤している途中に車の事故に巻き込まれ、療養生活を送っていましたが、結局そのまま退職してしまいました。

Cさんは療養生活中にもお酒を飲む生活を止められず、昼間から部屋でお酒と薬を飲んでいました。

ある日、そんなCさんを見た父親は「そんなことでどうするんだ!」と叱責されました。

また、高校時代の同級生たちは銀行員やいい会社に就職しているのに、自分は2浪して短大に入り就職しています。

しかし、事故に巻き込まれて退職してしまい、なぜ自分だけがこんな思いをするのかと、思い悩んでは落ち込んでいました。

その後、仕事をしなければと思い、営業職に就職したのですが、辛くて1ヶ月と続きませんでした。

Cさんは、大学時代に経験していた新聞配達の仕事ならできると思っていましたが、それさえも2週間も続きませんでした。

そんな生活の中、お酒を止めることができなかったCさんは、両親に「病院に入院したい」と話し、以前に母親が入院していた病院へいくと、アルコール依存症と診断されました。

その時Cさんは24歳でした。

その病院で、3ヶ月の入院プログラムを受けることにしました。

Cさんは、そこの医師から、「若いのにこんなに飲んでどうするんだ」と言われ、「若いから重症だ」とも言われました。

同じ入院患者は、Cさんよりもずっと年上の人ばかりでしたが、1ヶ月の基礎プログラムを終えると、外出して自助グループに参加できるようになりました。

Cさんは、病院にいたくなかったため、自助グループに積極的に参加するようになりました。

そんな理由もあって、Cさんは他の自助グループの人から、「これだけ参加したのはお前しか見たことがない」と言われて嬉しかったといいます。

また、行くと「よう来たな」と言ってもらえて、自助グループに通うことが生活の基本のようになっていました。

Cさんはその後、就職先の面接で「僕はアルコール依存症で、断酒会に通わないと仕事ができません」とはっきり伝え、次の仕事に就くことができました。

その後、精神保健福祉士、介護福祉士、ケアマネジャーの資格を取って、今は病院の居住事業所に勤めています。

Cさんは、もしアルコール依存症になっていなかったら、これまでに出会った人たちには合うこともなく、今の自分もいなかったそうです。

また、浪人時代を振り返ると、酒を飲まなかったら自殺していたかもしれないし、この病気になって良かったとまでは言えませんが、病気になって助けられた部分もあったといいます。

・断酒会と専門のクリニックに通いだして人生が変わったDさん

Dさん(53歳男性)は、30歳で医療関係の会社に就職しましたが、そこは接待が多く、飲むことも仕事の一部のようになっていました。

さらに30代後半で単身赴任になると、毎晩のように飲み歩くようになったそうです。

Dさんは、お酒をガソリン代わりに飲んで仕事に打ち込み、毎朝酒臭くても外回りの合間にサウナに行って汗を流したらすっきりしていました。

そんな時、飲酒運転が原因で事故を起こしてしまいました。

その日のDさんは、迎え酒をして会社に行き、車の運転をして路面電車の駅に激突してしまいました。

本来なら懲戒免職なのですが、会社は連日の忙しさを考慮し、始末書だけですませてくれました。

しかし、その代わり会社を続けたかったら転勤しろと言われ、Aさんは転勤を選びました。

転勤先の職場でも事故のことは噂になっていて、人間関係が築けず、再び飲酒運転で事故を起こしてしまいました。

飲酒をして高速道を走っているときに眠気がきて、目覚めたらトンネルの壁に激突していたといいます。

Dさんは、その後断酒会に行くことに決めましたが、みんなが「よく来たね」とやさしく迎えてくれて、びっくりしたそうです。

そこから、Dさんが完全に酒を止めるまで2年半かかりましたが、Dさんがなかなか止められなかったのは、他の人の体験談を聞いていても「俺はそこまで酷くない」と考えていて、自分をアルコール依存症だとは思っていませんでした。

その後、専門のクリニックに予約を入れ、クリニックに行くと、その先生から「私も断酒会の会員で、依存症ではないけれど、家族のためにお酒をやめて5年になります」と告げられました。

他にもその先生から、多くのことを教わり、涙があとからあとから流れてきて仕方がなかったといいます。

Dさんは、不思議なことに、それ以来お酒を飲まなくなりました。現在断酒して7年目ですが、昔はできなかったこともできるようになり、バイクに乗ったり、奥さんと山登りをしているそうです。